まいど!諭吉です。
一般幹部候補生のR4第1回試験で出題された
古典の訳を書いていくで。
マジメな訳と、
諭吉流の超意訳をメモしておくで。
読むのダルい人は諭吉訳だけで良いと思う。w
R4第1回試験過去問で出題された『十六夜日記』の訳
マジメな訳
1文ずつ、真面目な訳をしていくで。
思ひ続くれば、やまと歌の道は、ただまこと少なく、あだなるすさびばかりと思ふ人もやあらむ。
思い続けてみると、
和歌の道は、ただ本当のことが少なく、
浅はかな気まぐればかりと思う人もいるだろう。
日の本の国に天の岩戸開けし時より、四方の神たちの神楽の詞をはじめて、世を治め物を和らぐるなかだちとなりにけるとぞ、 この道の聖たちは記し置かれたる。
(和歌は、)日本に天の岩戸が開いた(※日本の神話の1つ)時から、
四方の神様たちの神楽の言葉をはじめとし、
世を治めて平和にする仲介者となった、
と和歌の大家は書き残していらっしゃる。
さても又、集を撰ぶ人は例多かれど、二度勅を承けて世々に聞え上げたる家は、類猶ありがたくや有けむ。
それにしてもまた、
和歌(集)を選ぶ人は多いが、
2度も天皇から命を受けて世間に知られている家は、なかなかないものである。
其跡にしもたづさはりて、三人の男子共、百千の歌の古反古どもを、いかなる縁にかありけむ、預り持たる事あれど、道を助けよ、子を育くめ、後の世を弔へとて、深き契を結び置かれし細川の流れも、故なくせきとどめられしかば、跡弔ふ法の灯も、道を守り家を助けむ親子の命も、もろともに消えを争ふ年月を経て、危ふく心細きながら、何としてつれなく今日まで永らふらむ。
その家系にあって、3人の息子たちが何百何千の和歌(を書いた紙)を、
何の縁だろうか、預かっていた。
(夫・為家が)「和歌の道を助け、子どもを育て、死を弔ってくれ」と伝えて
深い約束をした細川。
その細川から相続した領地も、理由なくキャンセルされてしまったので、
死を弔う灯も、和歌の道を助けようとする親子の命も、
消えてしまいそうになりながら年月を経て、不安を抱きながら、
どうして何事もなく今日まで生き永らえただろうか。
惜しからぬ身一つは安く思捨つれども、子を思ふ心の闇は猶忍びがたく、道をかへりみる恨みはやらむ方なく、さても猶東の亀の鏡に映さば、曇らぬ影もや顕はるると、せめて思ひ余りて、よろづの憚りを忘れ、身をようなきものになし果てて、ゆくりもなく、いざよふ月に誘はれ出なむとぞ思ひなりぬる。
私の身は惜しくはないので捨てることはできるけれども、
子を思う心の闇は我慢しづらく、
和歌の道を気にかける悲しみも晴れることはなく、
東の亀の鏡に写して見れば(※鎌倉幕府で裁判にかければ)
全てが明らかになるだろう、と思い、
恥や外聞を捨て、我が身を捨てて、
思いがけず、月に誘われて、鎌倉へ行こうと思うようになった。
さりとて、文屋康秀が誘ふにもあらず、住むべき国求むるにもあらず。
とはいえ、文屋康秀が誘ったように(誰かに誘われたわけ)でもなく、
鎌倉に住むべき場所を求めているわけでもない。
比は、三冬立つ初めの空なれば、降りみ降らずみ時雨も絶えず、嵐に競ふ木葉さへ涙とともに乱れ散りつつ、事にふれて心細く悲しけれど、人やりならぬ道なれば、行き憂しとてもとどまるべきにもあらで、何となく急ぎ発ちぬ。
今は冬になり初めたときの空なので、
降ったり降らなかったりと時雨も絶えず、
嵐にも負けない木の葉でさえ私の涙と共に散り、
ことあるごとに心細く悲しくなるけれど、
(こんなお願いは)人にやらせることでもないので、
行きたくないなと思っても止まることはできず、
急いで出発した。
諭吉流超訳w
「その昔から、和歌が平和を作ってきたらしい。和歌のプロがそう言うてはるのよ。
そんな和歌を、2回も天皇からお願いされて和歌集にした、ありがた〜い家族がある。そう、私の家族。そんなありがた〜い家族が、領地相続の約束を破られてピンチやねん!そんな中でどうやって生きてると思ってんの?ホンマに。ちょっと、鎌倉幕府まで裁判しに行かしてもらうわよ!
本当はこんなことしたくないけど、仕方ないやんね!」
ってかんじw
ということで、答えは
(2)
今日の幹候生対策メモ
売上に関する問題は面積図を使え。
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