『私を離さないで』のカズオ・イシグロくんがノーベル文学賞!
ゆーて盛り上がっとるみたいやな。
知ってると思うけど、彼はそれっぽい名前なものの、イギリス人やで。
じゃあ、日本人でノーベル文学賞を取ったんは?
って話やけど、2017年現在は
- 故・川端康成くん
- 大江健三郎くん
の2人だけや。
2人だけ。
村上春樹くんはまだとってへんで。
毎年勝手に盛り上がられてるみたいで大変そうやけど。
ちゅうことで、その二人についてみていこか。
川端康成くん
1899年生~1972年没。
国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。
の人や。
多分こっちの顔写真の方がよく見かけるんちゃうかな?
ほんま似てるな。ww
強烈なインパクトによって覚えやすくするために、川端・ダルビッシュ・康成くんって呼ぶで。
さて、
この川端・ダルビッシュ・康成くんは、ワシと同じ大阪出身。
東大を卒業した後に『文藝時代』っちゅう文芸雑誌を、仲間と一緒に創刊。
この『文藝時代』は、”文春砲”で有名な『文藝春秋』の親戚みたいなもんや。
文藝春秋のチームにいた川端・ダルビッシュ・康成くんが、
ワシも雑誌創ったるでぇ、いうて創刊したんが『文藝時代』なんや。
「これからは、宗教よりも文藝が人の心を救うんや」っていうメッセージを込めてつけた雑誌の名前や。
残念ながら雑誌は3年で終わってしもたんやけどな。
ちなみに創刊は、大親友の横光利一くんとかと一緒にしたんや。
エラい新感覚な髪型してんで。
確かに横光って感じやわ。
そうそう新感覚といえば。
週間少年ジャンプのモットーが「友情・努力・勝利」ってのは有名やけど、
『文藝時代』の特徴はというと「新感覚」なんやな。
『文藝時代』には擬人法とか比喩表現が特徴的な作品が多くて、
擬人法とか比喩表現ってのはどうも当時からすると新しかったらしくて、それが理由で新感覚派なんて言われてたみたいやな。
他にもこの新感覚派について、川端・ダルビッシュ・康成くんは文藝時代 1925年1月号の「新進作家の新傾向解説」で
これまでは、眼と薔薇とを二つのものとして「私の眼は赤い薔薇を見た。」と書いたとすれば、新進作家は眼と薔薇とを一つにして、「私の眼が赤い薔薇だ。」と書く。
ちゅーて解説してくれてるで。
頭おかしーなりそうやわ。
ほんで、この『文藝時代』で、『伊豆の踊子』を発表したんや。
ダルビッシュ有くんは、高校時代に甲子園出たわけやけど、
川端・ダルビッシュ・康成くんは、高校時代に伊豆に行って、7年後にその思い出を小説にして、歴史に名を残してるんや。
ほんでそのあと、これまた旅の思い出を小説にして『雪国』を書いたんやな。
これが、1968年のノーベル文学賞受賞へとつながる作品のうちの一つになってるってお話や。
大江健三郎くん
問題解くだけなら「川端・ダルビッシュ・康成くんじゃないほう」さえ覚えておけばバッチリや。
1935年生まれで、2017年もご存命で、1994年にノーベル文学賞受賞。
芥川賞や川端康成賞も獲ってはる。
代表作は『個人的な体験』とか『万延元年のフットボール』や。
万延って初めて聞いたわ。万延元年は1860年やねんて。
『個人的な体験』も、大江健三郎くんの息子に関する体験を綴った、そのまんまタイトル系の小説や。
ん~…。
…なんていうか、
このブログ的にはあんまりこの著者のことは深く調べなくてエエかなって感じの人やわ。笑
「ダルビッシュじゃない方」でおkやな。
まとめ
日本人のノーベル文学賞受賞者は2人だけ。
・川端・ダルビッシュ・康成→『文藝時代 with 横光利一』『伊豆の踊子』『雪国』
・大江健三郎→「ダルビッシュじゃない方」『個人的な体験』『万延元年のフットボール』